[2003/11/18] 無粋な泥船。

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【注意】
このコラムに書かれている内容の一部、特に失格を下した競技役員に関する記述は、執筆時点で重大な事実誤認をしたまま書かれたものを含みます。その点をご承知置きの上お読みください。その後、事実確認は筆者本人によって行われ、「2003/11/20」付けのコラムでその内容を記述してありますので、あわせてお読み下さるようお願いします。
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『無粋』って言葉、手元に辞書があったら引いてみるといい。

僕が今年の関フェスで見た光景は、まったくこの言葉を使うためにあるようなものだった。

同じく『台無し』って言葉もついでに引いて見ると、

昨日のエントラントの思いの大半を代弁することが可能だ。

2003年度のJMRC関東フェスティバルで何が起こったか、詳しく知りたい人は自分で調べてもらいたい。
僕ぁもう記述するのに疲れた(笑)。


今回の再車検に伴う「失格」については、技術委員長の指摘する通り、たしかに失格の理由となりえるものであることには疑いがない。
だから、失格の対象者も一切抗議をあげていない(僕がやめさせた部分もあるのだけれど)。
抗議を上げないと言うことは、この裁定を受け入れたと言うことである。よって正式結果になった。
現時点で、これは何をやっても覆ることはない。「正式結果」というのはそれくらい重要であり、神聖なものなのである。

だから、当事者も含め、むろん外野の人も、「この裁定はおかしかった」などとは言ってはいけない。
それは重々承知して置くべきことだ。

しかし、今回の失格裁定については、批判の対象が少々違う。

僕が思うのは、ルールはルールとして遵守されるべきだし、権限のある者がこれを守らせるのは当然のことだけれども、守らせる『手段』として今回『失格』を用いたことが、にわかに正しかったとは思えないのである。

規則を徹底し、遵守させる『手段』なら、他にも方法がある。
まず考えられるのは、しかるべき方法で公示すること。
JAFスポだとかシリーズ規則だとか、特別規則などだ。
この他にも、例えば講習会や公聴会を開くとか、
パンフレットにして配布するとか、
部会から各クラブへ通達するとか、
手間は掛かるにしても、とにかくできる手段なら他にもたくさんあるハズなのだ。

しかし、八方手を尽くして、周知期間も充分置かれ、ほとんどのエントラントが承知しているコンセンサスとなっていてもなお、そうした規則を意図的に違反しようとする者や、明らかに知る努力を怠った者によって発生する違反と言うのは、存在する。

こうした違反を暴くためにある『最後の手段』というのが、『失格』という裁定が持つべき性質ではないだろうか。
つまり、「やっちゃいけないこと」だとみんなが知っているのに、それでもやらかそうとうするヤツは、強権で暴いて懲らしめる・・・ということである。

そう考えると、今回の裁定が、非常に短絡的かつ横暴だったことが浮き彫りになってくる。

そもそも、この「B車両クラス」というのがどういう経緯で生まれて来たか、そこから考えてみたい。
ご存知の通り、昨年までのA車両規定が、2003年度から大きく変わった。これにあたり、A車両はおおかたSA車両に引き継がれるものと思われたが、ふたをあけてみるとこれがかなり違うことが明らかになる。特に決定的になったのはタイヤサイズ規制だ。
これによって、旧A車両規定下で戦闘力を発揮していた多くの車両が、一気に競争力を失ってしまうことが分かったのだ。

このままでは、今までジムカーナを支えて来た選手を排除することになってしまう、という危惧から、昨年末は実に多くの議論が行われた。千葉ジムカーナ部会でも、述べ2日間に渡って集中討議を行ったことは、僕も記憶に新しい。
こうして色々な人が知恵を絞った結果、選択されたのが「B車両クラス」だったのである。

「B車両」は「SA車両」や「N車両」はもちろん、これのどれにも当てはまらない車両をも包含する車両規定だ。「車検に通る限りは改造制限がない」ことから、「N車両規定が制定されるにいたった意義が理解されていない」という危惧の声もあった。
しかし、現役ジムカーナ選手が続けられる施策を施すことも、これまた同じくらい重要なことだったのである。

こうして、「旧A車両」がそのまま走ることができるためのクラスとして、「B車両クラス」は制定された。
これは、従来のマシンのまま走れるという条件の代わりに、ほぼ制限のない改造によって、車両としてのイコール性が著しく損なわれるリスクを受け入れた、苦渋の選択だったといえる。

そして問題はここから始まる。

このB車両を選択した時、ほとんど全員のコンセンサスは「B車両ってのは(車検に通る限り)ほとんど何でもあり」というものだった。
実際にはその時すでに、今回問題になった『保安基準』と『依命通達』に基づく「重量規制」は存在していたのだが、これが「Bクラスに出場する選手の誰もが知っている」・・・というレベルには、まったく遠い状態のまま関フェスを迎えたのである。

なにせ、車重を測定する装置を独自に持たないため、事実上車重測定を行ってこなかった各都県シリーズのみならず、わざわざ部会でコーナーウェイトゲージを購入し、「JMRC」の冠がつくイベントで重量測定を行ってきたミドル/チャンピオンシリーズでさえ、言及されたことはなかったのだ。

だから今回の失格が判明した時に、まず最初に起こった反応が「そんなこと今まで聞いたこともないよ」だったのである。
この事情を考慮すれば、もっともなことだといえよう。

この反応に対して、当日返答した東京ジムカーナ部会長はこう言った。
「この話は、当初から関東部会で話題になっており、実際東京ジムカーナ部会では折りに触れてこの件について言及して来た。“知らない”というのは、その選手が所属している県部会の部会長の責任である。」

当日聞いた時も違和感を感じた返答だったが、あとからゆっくり考察していると、ますますおかしな話であることに気がつく。
なぜなら、そう返答した東京部会でさえ、シリーズ戦で一度も車重を計っていないのである。
では、それ以外に「B車両にも車重制限が存在する」という周知を、なにか具体的に行ったのかといえば、どうもそうではないらしい。せいぜい部会で、部会に出席している人に対して「言及した」程度かと思われる。

ましてや、この東京ジムカーナ部会長から「それは部会長が悪い」と指摘された、他県の部会がどういう状況だったかは、語るまでもなかろう。

いいか悪いかの問題ではない。
これが『実状』だったのだ。

そしてこの『実状』を、今回の技術委員長は充分知る立場にあったのである。

ここで最初の「手段としての失格」に立ち返る。
つまり、「B車両に車重制限が存在する」という事実は、B車両が選択された当初から存在していた。
しかし、「B車両は何でもあり」という「誤解」がすでに広まっており、この車重制限に誰も気がついていないため、車両違反状態が放置される可能性があった。

なぜならば、B車両が受ける「車重制限」は、JAFやJMRCが明確に指し示した規則の中に存在するものではなく、「国土交通省令」そしてさらに「依命通達」という、およそ普通の手段では目にすることが出来ない法令の中にのみ、記述されているものだからだ。

そうであれば、もっと積極的な手段で、こういう規定があることを周知する必要があった。周知する方法も、また期間も現在までに充分あった。
しかし実際、それは充分に行われて来たとは言えない状態であった。
そしてそれを知っていた。

伝家の宝刀とも言える『再車検による失格』を行使する前に、行われるべきことが充分に行われた、失格という裁定を下すに値するほど、B車両の重量制限はコンセンサスとなっていた、とは到底言えない状況だったである。

それなのに今回の技術委員長は『失格』の裁定を強行した。

こう順路だてて考えて見ると、これがいかに乱暴なやり方だったかが分かるはずである。


しかしこういう反論もあろう。
つまり、「調べにくい規則かもしれないが、規定に明記されている以上、知っているのがエントラントとして当然なのだから、裁定に乱暴も丁寧もないだろう。」と。

至極もっともである。

そう問うあなたに、僕は問いたい。

あなたは、クルマが好きで、クルマで速く走ることに興味がある若者である。
雑誌を読みかじって、とりあえずマフラーとコンピューターと車高調は入れてみたマシンを、すでに持っている。
あなたには友達がいる。
一人は峠によく走りに行くAくん。
もう一人はジムカーナを何年もやって、どこかのチャンピオンになったこともあるBくん。
AくんもBくんも「楽しいよ。やってみなよ。」と誘ってくれる。
そこであなたは双方に問う。
「なにか準備しなきゃいけない物ある?」

Aくんは答えた。
「そうだねぇ、特にないよ。気が向いた時に来ればいいよ。ガソリン代があればいいんじゃない?」
一方Bくんはこう答えた。
「えーとまずね、お金払ってライセンスとって、JAF行って赤本とオレンジ本っての買ってね、陸運局言って通達もらってきてさ、ネットで車両運送法の保安基準をひととおり読んで、自分のマシンがそれらに適合しているかどうか調べてから、イベント探してお金払って1日2本だけ走るんだよ。」

あなたのように、こう言われて迷わずジムカーナを選ぶような人ばかりなら、ジムカーナ人口はこんなに減らないのである。

規則・規定・ルールの存在は結構だが、これらはそれを「適用」する対象・・・・つまり競技をする人、そして競技そのものが存在して初めてその存在意義がある。
だれも競技をやらないのに、ルールだけあっても意味がないのは自明である。
国民のいない国が国とはいえず、国でもないのに法律だけあるようなものだ。

そして、現在のままではジムカーナは確実にジリ貧である。

公式戦ヒエラルキーの底辺、最初のステップである都県戦は、これを肌で感じて来た。
なぜなら、顔ぶれが変わらないか、ステップアップして減って行く一方で、新たにジムカーナを始める人がほとんどいない状況を実際に見ているからである。
都県戦に参加する人が増えなければ、やがてその上の大会にステップアップして行く人材も枯れる。
それが何年後かは分からないが、何年かのちにはかならずそういう時がやってくる。
都県戦の現場を担う人間には、それが容易に推測出来たのである。

だから関東では、一部の県部会が対策を取り始めた。
部会にエントラントを取り込み、意見を吸い上げ、具体的な施策として企画し、実際にイベントや制度として取り入れた。ここでは多くのエントラント、主催者の汗が流れ、多くの時間が費やされた。
規則が厳然として存在することは百も承知だが、あえてそれを厳格に適用することも避けて来た。
こうした努力の甲斐があって、一部には新規のエントラントも来るようになってきた。
というより、こうでもしなければジムカーナの未来はないのである。

こうして新たにジムカーナを志してくれた若者たちは、「県シリーズ」の先に「関フェス」という大きな目標があることを知り、これに出たいと一年間頑張った。
ライセンスが持っていなかった選手も、ライセンスを取った。
無理だと思っていた関フェスに出場を果たした。結果はさんざんだったけど、楽しかった。
だけど、終わってみたらいつまで経っても表彰式もはじまらないし、あちこちで揉めてるし、おまけに表彰式でも罵声が飛んだ。自分が求めていたのは、こんなものだったのだろうかという疑問がわいた。

さぁ果たしてこういう場で、すでに述べたような『実状』を顧みず、『失格』を連発することが、方策として本当に正しかったのか。
これをあなたに問いたいのである。

重ねて強調しておくが、「充分に周知されているとは言えないあの実状で」だ。

さらに言えば、この周知不徹底の状態というのは、かの東京ジムカーナ部会長がのたまったように「都県部会長の責任」ではない。もちろん彼らに責任はあるが、最終的には「JMRC関東ジムカーナ部会」そのものの責任に帰するのではないか。
社員が不正をはたらいた時、それを知りえながら放置したら、当然社長の責任も問われるという例と同じである。

彼らが採った選択は、現在、今回のイベントに関してのみ考えるならば、正しいものだったと言えるだろう。
しかしはたして、それが今後5年、10年のちに振りかえったとき、やはり同じ評価が下るかどうか、僕には甚だ疑問に思えてならない。
彼らは自分で自分の首を絞めた。
自分で自爆用爆弾の導火線に火をつけたのである。

10年後のジムカーナの姿まで睨んで、汗を流して来たにも関わらず、後ろ足で泥をかけられた上、道連れにされる県部会の身にもなってほしいものだ。
そして、ここまで言ってもなお、「ルールが適用されないのなら、ジムカーナがなくなるものしかたがない」とか思うあなた。悪いけどあんた一人だけ山奥に行って爆死してくれたまえ。
悪いが、僕らはあなたの滅びの美学に付き合うのはゴメンだ。


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